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在日一世

”在日一世”という写真集がある。
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たまたま本屋で立ち読みしたことがあったので、なんとなくこの本がある事は知っていた。。母から電話があり、その本におじいちゃんが載ってるというのを人づてに聞いたと言われ、ワタシはすぐにこの本を思い出した。。。
カメラマンはワタシと同世代の在日三世なのだが、三年間に渡り一世の人たち90人を尋ね、話を聞き、それをまとめたもの。その中におじいちゃんがいたなんて、、、、気付きもしなかった。秋田にいるおじいちゃんは、今85歳。弟のおじいちゃんと二人で山奥の一件家に暮らしていた。去年の2月に脳梗塞で倒れ、その知らせに母とワタシで駆け付けた。正直危ない状況だったのだけど、なんとか命はとりとめることができたけれど、記憶があいまいになってしまった。もちろんこの本に載ってたことなんて母でさえ誰も知らなかった。それから、二月に一度のペースで母が秋田にいくようになった。

母の実家の秋田は、小さい頃毎年夏休みになると必ずいってた。9時間くらいかけて電車でいったり、時には寝台列車でいった。秋田のおばあちゃんは土崎という港町のスナックを一人で経営してた。ハワイに行くのが夢で結局行けなかったのだけど、、、だから名前は”スナックハワイ”秋田なのに、、ハワイ。庭にソテツがあった。おじいちゃんは秋田市内で秋田で最初の焼肉やとコリアンクラブを作った。夏に遊びにいくと、焼肉をおなかいっぱい食べれたし、必ず毎年男鹿半島の海にも連れていってくれた。おじいちゃんは下着姿で海にもぐって貝などをとってた。
年に一度しか会わなかったし、口数少ないおじいちゃんだったので、、、なんとなくこわそうな印象があり、、、なにかはなしても秋田弁の”んだ”しか言わないおじいちゃんだった。おばあちゃんはお料理が上手でおばあちゃんのつくるからあげのチューリップが忘れられない。
だんだんみんなが大きくなり、おばあちゃんがガンで亡くなり、、、秋田へいくこともだんだんなくなってしまった。
おじいちゃんが倒れて、久しぶりの秋田へ、母と来たとき、もうスナックハワイはどこにもなく、庭の入り口にあった大きな鉄の門のレールだけがコンクリの地面に少し残ってるのを見た時は時の流れを感じて寂しかった。おじいちゃんは以前よりもずっと痩せてて、意識はしっかりしてるものの記憶障害があるから、昔のことなどあまりわからなくなってたけど、、、皮肉な事にそんな弱ってしまったおじいちゃんが以前に比べ話しやすくて、少し嬉しかった。今は施設に移ってたのだけど、そこで肺炎を煩い、、、また病院で療養してるけれど、胃に直接モノを運ばないといけない状態にまでなってしまった。さらに痩せこけ、、、。
そんな矢先の今、、、この本におじいちゃんが載ってるという。

アマゾンで本を購入。そして今日届いた。5年前のおじいちゃんの姿。
そして、知られざる過去。絵の勉強をしたくて15歳で日本に来た。。。。
そしてそこから始まる壮絶な過去だった。激動の時代をかけてきたおじいちゃん。
おじいちゃん世代は誰もが戦争を経験し、激動の時代を生きて来た人がほとんどだと思うけど、在日という肩書きがそれをさらに重くした。おばあちゃんとの出会いや母が生まれた時のことも書かれてて、、苦労の連続の人生に涙があふれた。
今は病院のベッドで寝たきりになってしまったけれど、、母も初めて知るおじいちゃんの過去に涙でいっぱいになった。そして、今この本を通しておじいちゃんの元気な姿をみることができたことに感謝してる。
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おばあちゃんの話もそうだし、おじいちゃんの歴史を読んで、在日一世はみんな苦労した。
いつの時代も苦労はあるだろうけど、この壮絶な苦労を経て、ワタシたちが生まれ、あさひが生まれた。この辛い時代を乗り越えて、ワタシ達が存在してることがすごく感謝しなければならないと思った。おじいちゃんたちもおばあちゃんたちも一人でも欠けてたら、自分達はいないし、あさひはいなかったんだから。。。
by macaron5 | 2006-12-30 23:01 | 雑記